「エース」の価値はどこにある?完投が消えゆく時代に、それでも我々がエースに魅了される理由

コラム・雑談

皆さん、こんにちは。

「今日の先発は、エースの〇〇だ。絶対に勝てる」

私たちが野球を見始めた頃、日曜日のお昼にテレビをつけると、そこには必ず各チームの「エース」と呼ばれる投手がマウンドに立っていました。彼らは9回を1人で投げ抜き、チームを勝利に導く絶対的な存在でした。

しかし、2025年の今、その姿は大きく変わりつつあります。 先発投手は6回を投げ切れば「クオリティ・スタート」と賞賛され、100球を超えれば交代が当たり前。「完投」という言葉は、特別な試合でしか聞かれない過去の遺物のようになりつつあります。

では、現代において「エース」の価値は失われてしまったのでしょうか? 私は、断じて「ノー」だと考えます。形は変われど、その本質的な価値は、むしろ輝きを増しているのかもしれません。

データが変えた「理想の投手起用」

なぜ、エースは長いイニングを投げなくなったのでしょうか。 その背景には、「データ分析(セイバーメトリクス)」の進化があります。

  • 「打者3巡目の壁」:多くのデータが、先発投手は相手打線と3回目に対戦する際に、急激に打たれる確率が高まることを示しています。
  • 球数という「資産管理」:投手の肩や肘は消耗品である、という考え方が浸透。球団は、何十億円もの価値がある投手を、目先の1勝のために酷使することを避けるようになりました。

これらのデータに基づけば、先発投手を早めに交代させ、フレッシュなリリーフ投手を次々と投入する「分業制」が、勝利への最も合理的な道筋となります。それは、もはや否定できない事実です。

それでも、我々が「エース」に求めるもの

しかし、野球は本当に、その日の勝利確率を最大化するだけのゲームなのでしょうか。 私はそうは思いません。ゲリット・コール(ヤンキース)や、山本由伸(ドジャース)といった現代のエースがマウンドに立つ日、私たちが感じているのは、単なる「勝率の高さ」だけではないはずです。

そこにあるのは、「彼が投げているのだから、何があっても大丈夫だ」という、理屈を超えた絶対的な信頼感。そして、チーム全体に「今日はいける」という勇気と勢いを与える、目に見えない力です。

9回を投げ切ることはなくなったかもしれません。しかし、彼らは与えられた6回、7回を完璧に支配し、試合の流れを完全にチームに引き寄せます。そして何より、ポストシーズンという究極の舞台で、チームの運命を託せるのは、やはり「エース」と呼ばれる投手だけなのです。

まとめ:「魂」を託される者、それがエース

時代は変わり、投手の役割も、その評価方法も大きく変化しました。 しかし、「エース」という言葉の持つ重みは、決して変わりません。

それは、162試合という長いシーズン、そして一発勝負のポストシーズンを戦い抜く上で、チームがその「魂」を託すことができる、たった一人の投手。

だからこそ我々は、9回完投という数字上の記録が失われてもなお、マウンドに仁王立ちするエースの姿に、心を揺さぶられ、魅了され続けるのでしょう。

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